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植草一秀氏を応援します!写真の無断転載厳禁


by yuutama1
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無題

http://www.geocities.jp/yuutama_1

よく、『悪魔の証明』という話がありますが、これは

モノや行為の存在を巡って、
『有ること』に比較して『無いこと』を証明することが
極めて困難であることを比喩する言葉。[Wikipedia]より

『有ることの証明』は、証拠を一例でも提示すれば一瞬で完了する容易なことだが、
その反面、
『無いことの証明』は調査範囲が限定されたケースを除き、立証は事実上不可能である。

故に、公平の見地から証明責任は『有る』と主張する側に課せられることになっており、
立証できなければ無いものと見なされその主張は排斥される。
『無い』と主張する側は『有る』と主張する側の矛盾点を指摘すれば良い。

こういうことなのですが、

これに照らして考えて、立証責任の有る側とされる検察側が
今まで公判で行ってきたことは立証と言えているでしょうか。
私は立証ではないと考えます。
警官の目撃証言にしても、弁護側は検察側の主張の矛盾点を明確に指摘し、検証しており、
その結果、検察側の証言の矛盾は甚だしいものであると言う事が
法廷で客観的にみてわかるよう証明されています。

例え、検察側の人権を無視した暴露や、警察から不当にリークされた情報で、
世論の誘導が図れたとしても、
立証と言えるものでなければどれだけ並べ立てようと
それは有罪・無罪を判断するとき何の意味も持たないと思うのです。

検察は正義など追及していない。単に組織ぐるみで個人攻撃をしているだけなのだ。
私は、植草氏が無実であることはもちろん無罪判決が出ることも確信しています。
by yuutama1 | 2005-03-08 19:34 | 警察・検察